アナウンサーのバックグラウンドを武器に企業の広報・PR支援まで実施|株式会社Cheering(チアリング) 長崎真友子

地方で頑張っている自治体や企業・団体と、人に伝えるプロであるアナウンサーが力を合わせて地方創生をする女子アナウンサー団体「女子アナ47が注目されています。

サービスを提供しているのは、2014年に設立された株式会社Cheering。アナウンサーのスキルセットと抜群のコミュニケーション力・ホスピタリティーで、「司会・ナレーション」「広報採用サポート」「イベント企画運営」「動画・記事制作などのコンテンツ作り」「メディア活用」など、個々の能力や個性の総合力を生かした様々なサービスが提供されています。

今回は、同社の代表取締役である長崎真友子さんに「アナウンサーとしてのキャリア」「どんな想いがあって起業したのか?」「今後のビジョン」など、バックグラウンドや素顔、リアルな本音に迫っていきます!

長崎真友子

福岡県出身。二児の母。
経営者・元KBCアナウンサー・タレント・女優
株式会社Cheering 代表取締役 社長
地方創生女子アナ47 代表
オンラインサロン「仕事もプライベートも好転させる!!話し方研究所」所長

地元国公立大学からアナウンサーへ

今の活動をされる前まで、どんなキャリアを歩まれてきたのか教えてください。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
大学は、福岡の国公立大学に行っていました。在学中に環境サークルを立ち上げ、県内・国内の啓発イベントやビーチクリーン運動、コンポストを利用した農業などを行っていました。同時にアナウンサーになりたいと思ったので、半年間大学を休学して、東京でお天気キャスターをしていました。

 

採用は、朝日放送系列の「九州朝日放送」という局です。そこで3年間アナウンサーとして働き、東京に出てきました。東京に出てきた理由は、アナウンサー以外にも女優やタレント業にも挑戦したかったから。なので、ドラマに出させてもらったり、テレビのリポーターなどもやっていましたよ。

 

東京で4年ぐらいフリーで活動していく中で、次第に「1人で成功してもつまんないな」、と思うようになりました。実を言うと…、学生の頃からやりたいことや成し遂げたいことがあったんで起業しようと思っていたんですよね。こういった意味では、自分の人生は一貫して叶えたいものを叶えてきているんだろうなと思っています。

新卒でアナウンサーの道に

 

学生時代から起業したいマインドがありつつ、 まずアナウンサーの道へ行った背景をぜひ伺いたいです。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
アナウンサーは、夢を叶えるための手段といった感じです。自分の発信力を増やせば、伝えたいことをもっとたくさんの人に伝えられると思ったから。

 

元々は、国際公務員・外交官になって国と国を繋ぐ日本の架け橋みたいな存在になりたいなと思っていました。この夢を目指して、学生時代は勉強を頑張っていたのですが上には上がいる。今の私では叶えられないと思ったので、この夢は違う形で叶えようと思いました。

なるほど!
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
次に学生時代に頑張っていたのが、環境系のボランティアサークルを立ち上げて活動していたこと。当時、北九州市と一緒にエコイベントなどをやっていました。

 

その中で「今無料でこのボランティアをやっているけど、有料でやったらどうなるんだろう。どんなことができるんだろう」、ということにすごく興味が湧きました。その時に、お金をちゃんと稼ぎながら社会を回していくことをやりたいなと思うようになったんです。

 

当時、一番流行っていたのがアメブロだったので「長崎真友子の日本を元気にしようプロジェクト」というものを作って発信をしていたのですが、世の中に環境問題や地球環境のことを伝えるなら自分の発信力を増さないといけないなと…。

タレントさんみたいに週に1回テレビに出るとかじゃなくて、毎日テレビに出てないと自分の知名度が上がって聞いてくれる人が増えない。それで、毎日出られるのは何かって考えたらアナウンサーだったんですよね。

めちゃめちゃ戦略家ですね…!
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
新卒でどんな夢を叶えたいか冷静に考えて、たくさん企業訪問や説明会にも行ったのですが、ピタっとフィーリングが合うのが広告代理店と放送局だったんですよね!

 

また、思い立ったのもタイミングがバッチリでした!大学3年生の夏ぐらいがちょうど放送局はセミナーとかがある時期で「今申し込みしてるじゃん。アナウンススクールの3期まで終わってるけど、4期目残ってるじゃん!」、みたいな。タイミングが本当に良かったです。

いきなり朝の番組に抜擢も、いきなり番組を降板に

学生時代に「知名度の必要性」を認識し、アナウンサーとして地方局に3年間勤められた中で、アナウンサーってどんな仕事か教えてください。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
初めは「声の出し方」「話し方」「伝え方」といった、人間が楽器として成立するための基礎や言葉の選び方などを叩き込まれました。その研修期間を経て、入社半年経たないぐらいで朝の番組のスポーツコーナーに抜擢されました。

 

すごいチャンスだったと思います!そこから毎日夜中の2時起き、3時出社。5時半にオンエアされる番組のために、毎日この時間に出社していましたね…。

 

普通だったら昼頃に仕事が終わると思うんですが、その日のオンエア以外にもロケ撮影などもあったので、仕事が終わるのが夜になることもありました。平均すると、3〜4時間睡眠で生きていたって感じです。

それは過酷ですね…。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
今はもう無理なんですけど、当時そういうふうに働いてもやりたいことがあったんで続けられました。貴重な仕事だと自覚があったので吐いてでもやりたいと続けたいと思っていましたね!笑

 

でも実を言うと、入社する前に「3年で辞めます」って宣言をしたんです。「この3年間めちゃくちゃ御社に貢献します。そして私も力をつけさせていただきます、よろしくお願いします」って割り切って伝えました。それを受け入れてくれる会社ってすごいですよね。懐の深さを感じます。

 

スポーツコーナーをやりつつ、違う番組のグルメコーナーもやりつつ…。2〜3年目は、ラジオパーソナリティにも挑戦しました。3年間この放送局で通用する「ニュースがしっかり読めるアナウンサー」「自分の言葉で表現して伝えられる」というスキルを身につけていきました。1〜2年目は順風満帆に行ったものの、実は3年目に入る前に急に花形の担当番組を降ろされたんです。

え、急にですか…?!
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
上司から「後輩に席を譲ってあげなさい」という感じで言われました。もちろん後輩もチャンスを待っていたと思うので仕方ないとは思いますが、ショックでしたよね、、、通常は皆さん2〜3年で交代だったので、私は早かったな、もっとやりたかったなと。

 

現福岡市長の高島宗一郎さんが私の一番身近にいてくれた当時はアナウンサーの先輩だったのですが、その先輩がメインパーソナリティーを担当されていた番組だったので彼の考察を教えてくれました。

 

ズバリ!周りとコミュニケーションが取れていない結果!

 

そう、私は元々一匹狼派だったんですよ。スキルを身につけるために、自分の中で探究したり、誰よりも朝早く出社して発声練習したり頑張ってはいました。でも、番組や会社とかってチームワークじゃないですか。そのチームワークのために飲み会も毎週行われていたりもしたんですが、私は自分のやりたいことがあったり、夢のためのインプットの時間に使いたくて断っていたんですよね。

 

スポーツコーナーの担当アナウンサーって花形なので、そういった部分って1人で黙々とやる子よりも、周りの協調性とかを大切にしている子にしてほしいとかが多分あったと思うんです。番組もチーム戦ですからね。

 

こうした弱肉強食の世界の中で、自分のことだけしているとこういうことになるんだなって学んで…。番組のため・自分のために頑張ってきたのに、結果として逆の方向に行ってしまっていたのが辛かったし現実を受け入れられなかったですね。自分を責めて、10円ハゲが3つもできました。

 

しかし、ここで失敗を糧にするのが私です。苦手だけど上司にランチを誘ってみたり、同僚や後輩たちとの旅行を計画してみたり…。自分が今までやってこなかったことをやることに挑戦してみたら、仲間たちが助けてくれる・大切にしてくれるっていう結果が待っていました。

 

なので、辞めるときは円満でしたね。「これで東京に送り出しても恥ずかしくない人材を育てられたし鼻が高いよ」って当時の部長からおっしゃっていただき、みんなが応援してくれるアナウンサーになれた気がします。

 

その後フリーになってからも、スキルよりもコミュニケーションを1番大事にしようと思って仕事をしていました。おかげで、仕事は順風満帆でした。今振り返ると、当時の挫折があって本当に良かったなと思っています。

フリーアナウンサーから女子アナ47の起業するまで

地方局を卒業してから4年間フリーでタレント業をされていた時は、今までの経験を糧に順風満帆だったんだなと感じました。女子アナ47の構想は元々あったのか、それともフリーアナウンサーをしていく中で出てきたものなのか、伺いたいです!
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
東京に出てきてからのフリーアナウンサー時代は、いつも順風満帆だったわけではなくやっぱり弱肉強食でしたね。東京では、フリーアナウンサーなんて星の数ほどいるので、勝ち残っていくためには良い事務所に入ったり、セルフプロデュースが必要だったりで、常になりたい自分と向き合い、行動し続ける日々でした。

 

事務所は、最初は7つくらい業務提携して所属はしないフリーで仕事を獲得していっていましたが、2年目からはスタッフ・アップという女優の事務所に、その後移籍してホリプロの芸能2部に所属していました。

 

ただ、活動していく中で人に雇われることやペコペコして「私を使ってください」っていうスタンスの売り込みが苦手だったんです。女性だからなのか私の力不足だからなのか、大事な商談では蚊帳の外な感じで悔しい思いばかりしていました。弱い立場の人がお偉いさんとかに直談判しに行く姿を見て、嫌になったというか自分の中でスパークしたんですよね。

 

「なぜ女の人がペコペコしなきゃいけないんだろう。こちらは技術職なんだから、オファーしてくれるような自分にならなくては!」、と思いました。また自分1人でやっていくよりも、周りの仲間たちもそういった地位を上げられるになりたい、と思ったんです。

フリーとして活躍されていく中で「自分1人よりもみんなで」っていう想いが次第に出てきたんですね。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
そうですね。後は、アナウンサーの衣装を売るフリーマーケットを開催したのも女子アナ47に繋がるきっかけの一つです。

 

アナウンサーって衣装がほとんど自前なので、オンエアで着たものはなかなか次も着にくいんですよね。しかも、みんな200〜300着とか家にあったりするんです。500円でも1000円でもいいからそれが売れたらみんな嬉しいなと思って。

 

なので、銀座のスタジオを借りて自主イベントを開催しました。そうしたら思っていた以上に反響があって、メディアの取材依頼が殺到したんです。アナウンサーたちがただ集まって衣装を売って、その売り上げの一部を寄付するという事をやってたんですけど、メディアからはそういう良いことをしているっていう見え方だったと思います。

 

きっと自分1人じゃメディアの取材とか来ないだろうけれども、団体で何か世の中に良いことをしたら人は良く思ってくれるんだと知りました。

 

2014年に始めたフリマイベントも年間30回ぐらいは開催していましたね。初めはアナウンサーだけだったのに、モデルや女優の子が一緒にやってくれたりもして、大盛況でした。そして、この勢いのままアナウンサーたちが社会貢献する会社を作りたいなと思うようになりました。

 

準備もしながら2015年11月に法人登記して、本格的に活動し始めたという感じです。学生時代から起業をしたいと思っていたし、元々思っていた時期にちゃんと起業できたって感じですかね。

「いつまでに」という目標を決めたら、もうそこにもう何がなんでも運も味方につけつつ持ってく姿がすごくかっこいいなと思います。
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
私、マインドが男気があるんだろうなと思います。性別関わらず、独立・自立心がある人はお話しを聞いてても輝いている人が多いし、かっこよく見えますね。

 

挑戦していく人たちを増やしていきたいですし、そういう制度を世の中に整えたいっていう想いがすごくあります。

個人的な活動ではなく、法人にしたのはどうしてですか?
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
フリマの活動を広げていくと徐々に規模や反響が大きくなっていって、より大手のクライアントさんと付き合うためことになったので法人登記した、というのが最初のきっかけでしたね。

当時から大切にしているのは「地方創生」というキーワードです。

 

あとは単純に自分の地元・福岡を愛してやまなかったので、何か恩返しをしたいという気持ちも重なりました。イベントを開催していく中で、皆さんの故郷や勤務地への想いを実感していきました。また、純粋にアナウンサーたちの能力って高いなって感動したことがあったんです。

 

例えば、イベントをやるにしても「じゃあこういうところに交渉行こうよ」「こんなイメージでチラシを作ろう」、とかみんな泥臭いことをやってくれるんですよね。その時に、喋る、伝えることだけがアナウンサーじゃない。「司会はもちろんプロだけど、こういう泥臭いこともできるじゃん!」ってことが分かったので、立ち上げる時にはアナウンサーの持てる力を全て使って世の中に貢献していこうと思いました。

 

アナウンサーが動画作れるなんて、原稿を書けるなんて世間一般ではなかなか浸透してないですからね。カメラ機材持って運んで、撮影も自分でみんなやっちゃうんですよ!

メンバーは精鋭のアナウンサー集団

現在の会社の規模感やメンバーについても伺ってもよろしいですか?
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
トータルのメンバーは、今80人ぐらいいます。

 

「登録者」という形で仕事の案件をもらいたい人と、アナウンサーの団体としてみんなで何かをクリエイトする仕事をしたい方、そういった志の方々が集まっています。入るには審査を通過された方のみです。

 

会社のスタッフとしては、私を入れて5人ですね。CTO(最高技術責任者)は男性ですが、それ以外は登録者もスタッフも全員女性アナウンサーです。99%女性の会社ですね。

すごい、全員女性でアナウンサーだとまとめるのは大変ではないですか?
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
そうですね。 ただ、CTOの存在がすごく大切で、やっぱり男性目線と女性目線では全然違うなと…。

 

女性だけでわぁって盛り上がっているところに、男性が「でも実際これってこうだよね」、って言われたら「あ、そうだね」みたいな。そういった意味でも、CTOの存在は大変ありがたいですね。

根っからの広報人だからこそできるPR支援

アナウンサーの経験を持たれた上でのPR・広報は、企業によって得意分野や強みって変わってくると思うんですよね。御社の場合、PRや広報の支援の仕方だったりとか、どんな特徴があるのか伺えますか?
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
本題の前に1つ大前提があるのですが、私自身が根っからの広報人だと思っているので今の形ができたと思います。

 

例えば、学生時代に農業をやってた時にブログで発信してたのもその一つです。何かをしたとしてもそれを発信して届ける相手がいないと意味がないと思っているので、その時からブログやをmixi使って広げたりしていました。

 

それが根本にあった上で、すごく広報を大切にしています。キャスティングとか動画制作をしている中で、 アナウンサーたち一人ひとりが広報人でSNSを使って広められるっていうのが強みだとも思っています。

 

女子アナ47の特徴の1つ目が、「魅せ方が上手い」ところ。

 

もちろん企業の広報の方達も上手ですが、うちはメンバー全員がテレビ・ラジオ・インターネットも含めて商品やサービス、スポットなどを魅せることをやってきました。言わば、プレゼンテーションをずっとし続けてきた人たちなので「この商品をPRするときにどの角度からどんなステイクホルダーだったら、どんな切り口だったら刺さるか」などが分かるのが強みです。

 

2つ目は、地方局中心ではあるけど放送局出身なのでメディアともパイプがあること。

 

例えば、「この番組の8枠分は全部この商品でいきましょう」、とか長い尺で確保することが高確率でできる。それはなぜかって言うと、放送局さんに知り合いがいるので「この商品のこういう所がすごく良いんですよ、だから取材してくれませんか?こういう感じで特集したら面白くなると思うんですけど…」、って言うアレンジをした上での提案などもしているからです。それらもあって、メディアに取り上げてもらえやすいというのは2つ目の強みかなと思います。

 

3つ目は、全国の地方ごとに知名度や信用があること。

 

その土地ごとに知名度や信用があるアナウンサー100名が、一気にその商品をPRしたらすごい効果になるんじゃないかなと思って始めました。一般の人ではない半分公人だった方々が、その商品を同時にPRすることで得られる信用力・拡散力を試してみたいと思いました。皆さんその地方でのエンゲージメントは高いんですよね。

 

私だったら、東京と福岡のフォロワーが多いので、その地方の人たちにリーチさせたいという時に使ってもらったらある程度届けられます。こういった使い方ができるのは、インフルエンサーさんとはちょっと違いますよね。

都心で事業をしている企業が地方にアプローチするのは簡単なことではないと思います。そこへダイレクトにアプローチできる貴社のような強みをもつ会社はなかなかいないと思いますし、効果もちゃんとあるのではないかとイメージできました。

地方で広めたいっていうオーダーがあれば、貴社はどこよりも強いんだろうなと思いました。

栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
そうですね。

 

うちもやっていきながら気づいたのは、大企業は広報さんって自社にたくさんいるので、その方達の手が届かない地方系のイベントやフェス、地方で展開する商品とかがうちは相性がいいんだろうなと思います。

聞き手を引き込むアナウンサーの話力を武器に

最後に、「今後どういうビジョンを元にどういう世の中にしていきたいか」をお聞かせください!
栗林
栗林
長崎さん
長崎さん
1つ目は、声と動画のマッチングサービスを作って、広告動画出演やナレーションを入れて欲しい人とアナウンサーを繋ぐことです。

 

今は、YouTubeやTikTokとかでもAIで声を作れたりとかはありますが、アナウンサーに任せた方が格が変わると思います。心地良い声っていうのは、周波数とかの関係などある程度科学的に証明されているんですよね。そこをちゃんと抑えているアナウンサーがやると同じ映像でも、AIがナレーションしたのよりもアナウンサーが入れた方が伸びるのではないかと。

 

料金単価とかも考えて、もっと気軽にオーダーできるようなベンチャー企業に特化したサービスを作りました。アナウンサーたちが若者や企業を中心に日本を元気にするってことを具体的に叶えていこうとしています。

 

2つ目は、女性のための会社を作ることです。今の仕事で不満がある方・やってみたいことはあるもののノウハウや機会に恵まれない方・育児や子育てをしていて仕事でブランクがある方達の叶えたい夢実現に伴走したいなと。

 

私は知識や経験は足りないかもしれませんが行動力はある人間なので、そこの勢いだけはあります。一緒に伴走して勢いをつけてあげて、背中をポンって押してあげられる組織を作ろうとしています。それを何から始めようか?と思って今の自分にできることとして、「人生を変える話し方」や「家庭でも職場でもビジネスの場でも使えるコミュニケーション術」をオンラインサロンで全国の方に届けるプロジェクトも2024年1月から始めました!私ができる最大の強みが「プロ仕込みの話し方」「コーチングスキル」だったので、まずはそこから女性の自立・大満足人生のお手伝いがしたいと思っています。

 

女子アナ47の会社はもちろんメインですが、女性支援の事業もうまくいけば私の人生がハッピーすぎるなって思ってるぐらいですね。

とっても素敵ですし、長崎さんならきっと叶えられていくんだろうなと思います。本日は、お忙しい中ありがとうございました!
栗林
栗林

(取材:栗林和矢 執筆・編集:asuka)
※記事中の画像は全て長崎さんからご提供いただいております。