政府が提唱している「働き方改革」を推進するうえで、業務効率化は欠かせないテーマ。「労働人口不足」とも言われる中、働く環境を変えるだけでなく企業の成長やビジネスにおいて新しい変化に対応するためにも、DXによる働き方改革が年々注目されています。
今回は、20代でDX支援事業「ainote株式会社」を設立された新井結衣さんにインタビューをさせていただきました。
「なぜ起業しようと思ったのか」「起業して大変だったこと」「そもそもなぜDX事業を選んだのか」など、新井結衣さんのバックグラウンドや素顔、リアルな本音に迫っていきます!
目次
学生時代のアルバイトを通じて、人の将来に寄り添う仕事の魅力に気づく
ーー新井さんが人材業界へ興味を持ったバックグラウンドを教えてください。
新井さん:大学時代は理系の学部で、生物学や品種改良といった研究をメインに勉強をしてきました。
人材業界へ入社しようと思った大きなきっかけは、大学生時代に東進ハイスクールで4年間塾講師としてアルバイトをしたことです。そこでは、勉強を教える講師ではなく「人生の先生」みたいな立ち位置で高校生の進路相談に乗ったり、大学受験のサポートをするカウンセラーのような仕事をしていました。
生徒さんや親御さんと話しをしていく中で、一人ひとりが異なる夢を持っていて、その夢の叶え方はたくさんあるということを学ばせてもらいました。何に情熱を持っているのか、どういうときに幸せを感じるのかなど、そういった人間心理みたいなものに興味を持ちました。
学生生活でコツコツ研究のデータを見ながら生産管理をしていくっていうことも楽しかったです。だけど、データを突き詰めた上でどうなるかという仮説を立てながらそれを成功に導いていくよりも、どうなっていくかわからない温かみのある人の将来の方が楽しいなと思い、人材業界に内定をいただけるように頑張りました。
入社1年目の成績は最下位か最下位から2番目
ーー高校生からしたらある種1つの人生の分岐点が受験。そこに寄り添って相談していくうちに、コミュニケーションやキャリア支援みたいなところの面白味や魅力を感じられたということですね。
新井さん:はい、そうです!
ーー大学を卒業してから、人材業界に入社してからのことも教えてもらってもいいですか?
新井さん:大学卒業後に入社した会社は「キャリアデザインセンター」という人材業界。メディアと紹介事業が主な会社でした。私が配属されたのは、エンジニアやIT職種に特化した派遣事業営業部。一言で言うと、エンジニアの転職を支援する仕事ですね。
配属されたものの、私自身エンジニアの仕事内容や職種などは全く分かりませんでした…。新卒でこれから仕事を覚えていくっていう時期に配属されたので結構大変でしたね。目の前の方の転職のサポートを精一杯頑張りたいという想いはあったのですが、 外国人と話しているかのような会話のキャッチボールになってしまい全然会話が上手くいきませんでした。
エンジニアの方も「この子自分の職業分かってるのかな」という不信感。さらに「そもそも転職したことない新卒がなんで僕たちのことを手伝っているんだろう」という違和感があるんだなと会話をしながら感じていました。
そんな感じだったので、同じ配属の部署の同期5人の中での成績は最下位か最下位から2番目。社会人1年目は思ったように仕事ができませんでした。
素直さこそ最強の武器|入社2年目で社長賞を獲得
ーーなかなか鍛えられた環境だったんですね…。そこからどうやって仕事で結果を出していったのですか?
新井さん:周りの人のサポートのおかげです。あとは、「人から教えてもらったことは1人前になるまで素直にやり続ける」ということを積み重ねていきました。
その結果、社会人2年目から3年目の1年間の業績が部署の中で1位になり、社長賞をもらえて年収が300万ぐらい上がりました。 仕事の醍醐味を結果で得ることができました。
社長賞の受賞を機に上がったキャリアの考え方
ーー大変ながらも年収も上がって順風満帆のように伺えたのですが、そこからさらにキャリアを変えようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
新井さん:そもそも、1社目にこの会社を選んだ理由が女性の管理職が6〜7割いたからです。一部上場の人材会社でそこまで女性の方が活躍されているってなかなか珍しいなと…。私も実績を作ってゆくゆくはその会社の管理職や取締役とか、そういったマネジメント側に行きたいなと思っていました。
そんな中、取引先で業績が大きく傾いてしまった会社があったんですよね。「人材切り」という、働く人の道をシャットダウンするような出来事が目の前で起こってしまい、私自身大きなストレスを感じてしまいました。
ーー今まで普通に働いてきた人たちが辞めていくのを見るのは辛いですよね…。
新井さん:本当にそうです。人の人生に携われる人材会社はすごい魅力的だったんですが、人が大好きだからこそ、その人たちがいなくなっていく社会がすごい耐えられないというか…。「労働人口不足」と言われている中で、本当はいてほしい人たちがいないから継続できない会社もあることを知って、このままじゃまずいと思いました。
後は、社長賞を獲ってから物事の成り立ちに興味を持つようになったのもキャリアを変えようと思ったきっかけの一つです。「誰かの何かを解決したい」など、社会課題に対して行動した結果がそのブランドや会社を作っていると知ったときに、純粋に私もそっち側に行きたいなと思いました。
そこで、「今までは人で解決してたところを人じゃない解決の方法もあるんじゃないか?」と思いVRの会社に転職。VRというものが、時間と場所関係なく自分たちが得たいものをビジュアルで表現できるという部分がすごい魅力的で…。どちらかというとゲームとかアバターなのですが、VRの将来性や市場拡大の展望も素晴らしいなと感じていました。
そんなとき、VRの会社を立ち上げた社長さんとお話をした際に「一緒に働こう」と言ってもらえたので社長室の人事・採用候補のポジションで2年弱働きました。
起業に踏み切れたのは、これまで積み重ねた経験があったから
ーー振り返ってみると、経営者の仕事に関心を持って進めてこられたキャリアだったんですね。
新井さん:今振り返ると、1社目のときから自分で経営をしたいっていう思いがあったんですよね。起業は目的ではなく手段として考えていたので、社長さんの元で会社(組織)をどう運転しているのか密に学びたいなと思ってVRのベンチャーに転職しました。
「そもそも株式を持つって何なのか」「会社を立ち上げた際の税金や経理回りはどうなっているのか」など、会社設立から運営まで近くで学ぶことができました。そのときに「自分だったらこうやろう」と考えたりもしていましたね。
後は、大手×VRのベンチャーで新しい事業を作るプロジェクトのローンチもしました。そのときに、「世の中にまだない価値観をお客さまにどう伝えていくか」「社会の課題を解決するために自分たちで業務をどう作っていくのか」といった手段や、「なぜ我々が動いてるのか」という使命やビジョンを相手に伝えていくことが、転職したVRのベンチャー企業で経験できました。
ーーそこから自分で会社を立ち上げようと踏み切れたきっかけは何だったのですか?
新井さん:転職したVRのベンチャー企業で、会社を立ち上げる際に本来不安になるようなことは一通り経験できたのもあり、思い切って起業できました。
後は、VRのベンチャー企業を辞めるときに部署異動があったんです。でも私自身が望んだタイミングではなかったんですよね。自分の人生1度きりしかないのに自分で人生の舵を切れないことに対するストレスがもう半端なくて…。その会社自体はすごい楽しい環境だったので3年は働こうって思ってたんですが、1年弱経った期末のタイミングで「10か月後に辞めます」ってことを宣言。
そこから、自分の人生観や起業するって決めたその期日に向かっての準備など、自分自身を見つめながら事業計画をたくさん立てました。
勢いで初めた着物事業。上手くいかずDX支援事業にシフト
ーー起業してから苦労したことや大変だったことってありますか?
新井さん:当初ainoteは、DXの会社で立ち上げたわけではなく「着物」に関する事業を立ち上げていたんですよね。
ーー着物に関する事業をされていたんですか…!
新井さん:はい。私自身着物が好きで、教室に通ったりもしてて。着物に携わってる先生から思いを聞くことも多かったんです。その先生が「最終的に自分の人生で何を残すのか」というところを考えながら着物に携わっている姿に強く心が動かされました。
次第に「この先生ができないことを私がやれたらベストなんじゃないかな」と思うようになりましたね。
例えば、ブランドを作ってその着物のアップサイクル品を販売する。その販売活動に社会意義を伝えて、若い人たちの知的好奇心を活性化させる。伝統の着物を新たなカタチでもっと身近に感じてもらえるようによみがえらせる。元々は、そういうブランドを作りたいなと思って立ち上げた会社でした。
ーーまずは好きなことを軸に、実際の着物を販売する事業からスタートされたんですね。着物もDXも同時並行でやられていたのですか?
新井さん:最初は着物のブランドを立ち上げるで100%だったんですけど、こっちだけだとすぐに難しいということがわかりました。なので、着物50%・DX50%で1ヶ月動いてみたのですがこれもダメで…。3ヶ月目以降は、DXに100%シフトしました。
コロナも重なって売り上げがすぐに入ってこなかったり、商品もお客さんもいない状態で社員を雇うというパワフルマインドで会社を運営していましたね。
ーー着物からDXに100%シフトされたんですね。
新井さん:はい。私の心としては、毎日エネルギーを放出して楽しかったんです。だけど、今の経営の仕方だと半年も経たないうちに会社が沈没する状況でした。なので、関係者各位みんなに土下座して、私の責任不足だった部分があったところをしっかり清算しました。
ーーそこからどんな出来事があったのですか?
新井さん:着物事業を辞めてDXに100%舵を切ると決めたものの、一緒に今まで働いていたメンバーが自分で会社を立ち上げる事が決まって会社を離れたり、正社員から業務委託にシフトすることで離れたメンバーもいました。
出会いあり別れもありで、人生色々だなって学びましたね。
創業メンバーとDX支援事業に邁進する日々
ーー新井さんは人事や組織など、人とコミュニケーションをする役割が多く、技術面の経験はあまりないように感じました。DX支援事業を立ち上げる際、DX専門パートナーはいらっしゃったのですか?
新井さん:創業メンバーは、前職から引き抜いたメンバーとたまたま知り合ったお客さまでMBAを取ってる方に助けてもらいながら起業をしました。元々MBAを取っている方が、 DX・IT化・社内リソースを最大化させて、売り上げや事業を拡大していく部分をすごく強みにされている方だったんですよね。なので技術面はその方の力を借りながら、私は営業なので、そこに注力したディレクターとして動いています。
業務を改善するDXってデジタルのイメージが強くて「人は関係ないんじゃない?」と思われがちなんですが、人が活き活きするような組織を作るために、ITを推進して人が働きやすい持続可能な環境を作っていく。そして組織の力を最大化させていくっていうところでは、人に関わる仕事だと感じています。
ーーDX支援は大手企業が参入していく領域のような印象がありました。個人で起業してその支援を専門的に取り組んでいく上でどのように差別化されているのですか?
新井さん:ainoteはどちらかというと、「レガシー産業」と言われる日本のインフラを支えている建築・製造・物流業界のDXを担当させてもらっています。経営者の方がITにそんなに強くない方や、血も汗も流しながら働きますみたいな、俺についてこいみたいな高度経済成長期を乗り越えたイケイケゴリゴリの経営者さんが多いんですね。
そんなところに営業に行くと「お前はなんでうちに来たんや」みたいに突っぱね返されちゃう方も多くいると思います。ただ私は、そういう人と話してて楽しいんです。
20代でなぜ経営をしているのかっていう部分の生きざまを話したり、 歴史が大好きで明治維新の立役者のお話をしたり、ドロ臭いような営業スタイルでやってきた身です。そこが相性良くて、大手では開拓できないような業界にサポート支援させてもらえているっていうのが、大きな強みであり差別化なのかなって思っています。
DX支援のその先にある育成までサポート
ーー今後の展望をお伺いしてもよろしいですか?
新井さん:今後の展望としては2つあります。
1つ目は、DXで働き方の考え方や価値観を伝えていける代表的な教育部分をainoteができるようになりたいです。DXって無形商材でそういう抽象的なものに対して、人によって定義が違うと思うんですよね。だからこそ、「ainoteさんに相談すれば、今の働き方や職場環境の問題点を解決してもらえる」といったような立ち位置になっていきたいです。
2つ目は、DXが内製化できたときの新規事業支援です。業務改善・業務効率化がされると、純粋に空いた時間が生まれると思います。そういったときに、本来会社や従業員が持っている強みと新たなものをプラスしていくところで、自社のDX人材を育成しながやっていけたらなと。
課題はたくさんあるし私の中で定義がまだできていませんが、もっと世の中の会社さんの正解が広がっていけるようなことを、ainoteはやっていけたらいいなと考えています。
ーーDXを推進して効率が上がった結果、人手が余る。その空いたメンバーや会社本来が持っているスキルを生かして、より会社を大きくしていくためにはどうすべきか。そこにainoteさんが入って、客観的にその会社の良さだったりとかを見極めて、こういう事業を作ったらいいんじゃないかのプランニングをしていける支援をしたいってことですかね…?
新井さん:その通りです!
自分と会社のビジョンを両方叶える
ーー自分自身のありたいライフスタイルみたいな部分も30歳という節目に向けて準備をしつつ、企業として世の中の課題解決ってところも、この両輪回していけたら理想ですよね。
新井さん:はい。去年ぐらいまでは120%仕事にベクトルが向いていたので、今後は好きな友達とパーティーに出たりとか、週末キャンプ行ったりとか、仕事だけで得られない人生の幸せといったところも積み重ねていきたいですね。その中で、私がいなくても会社が回るような仕組みを作っていきたいなとも考えるようになりました。
そういったときに、取締役になってもらいたいと思える方と出会ったり、業務委託でこの会社さんへのITコーディネーターはこの方に依頼したいと思えるような方とも出会えました。なので今は、チームという形で会社を回しています。
正社員のときは、1枚の名刺の肩書きだけで満足したくないと思って自分で会社を作ったんですが、その自分で作った会社の名刺「会社経営者 新井結衣」にすごい縛られていた時期があったんですよね。
今はお家に人を呼んでご飯を食べたりとか、そういう本来やりたかったことがようやくできるようになりました。1年前の自分と今の自分、全然違うなって実感しています。
なので今後は、自分と会社の両方のビジョンを叶えていきたいと思っています。
ーー本日は素敵なお話をありがとうございました!
(取材:栗林和矢 執筆・編集:asuka)